【日記・雑記】理想の医師像:小児科医として、父として、息子として。 | ゆるっと小児科医ブログ
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【日記・雑記】理想の医師像:小児科医として、父として、息子として。

小児

本日、休みでゆっくりしています。

普段は仕事のことばかりで医学関連しかブログに書くことがありませんが、たまにはどんな仕事・人生を送りたいか考えてみました。

小児科専門医を目指す私ですが、理想とする医師像について、今の私の考えをまとめておきます。

来年、数年後、数十年後にはまた考えが変わっているかもしれませんが、あくまで小児科専攻医2年目の、今の私の理想です。

高校生〜大学生編

私が医師を志したのは高校生の頃。学校に講演に来た海外での活動歴もある医師が、医療に対して熱く語る姿をみて格好いいと感じたことが理由の一つです。

もう一つの理由は、正直安定して収入も高いことを高校生ながらに知っていたから。二つ目の理由があるから、塾講師のバイトで生徒に「なんで先生は医学部入ったの?」と聞かれた時は、少し後ろめたく感じていました。

 大学生活はバイト・サークル・勉強で充実していたと思います。妻とも大学の時に出会いました。留年することもなく、順風満帆でした。 

 しかし、私が医学科5年生の時、人生観を変えることが起こりました。

 父が、余命宣告を受けるほどの、生命に関わる病気に罹患したのです。

臨床実習・家族の闘病編

 最初は余命1年未満の診断でした。

両親は仲の良い夫婦で、休みの日はいつも二人でガーデニングを楽しんでいました。

治療・入院で父のいない家の中。母はとても悲しかっただろうし、心細かったと思います。

何度も泣いている姿を見たし、私も何度も泣きながら話す母と向かいあいました。

父が命の危機に瀕したことも辛かったですが、辛そうな母を見ることも、同じくらい悲しかった記憶があります。

そして長い父の闘病生活の中で、嫌な自分もたくさん出てきました。

「まわりの友だちは普通に大学生活過ごしているのに、なぜ自分は全ての事を我慢しているのか」

「父さんの様子も病院に見に行って、家に帰ったら母さんから父がいなくなったらどうしようという内容の話を毎日聞いて、そんな中実習の勉強もして…。自由に時間を使える周りが羨ましい」

「兄は都会の大学に行って実家には普段は全然いない。私ばかりが両親のケアを….。」

我ながら、こんなことを思う自分のことを、ひどく醜いと感じながら毎日過ごしていました。

そんな父の闘病生活ですが…、なんと奇跡的に父は病を乗り越え、余命宣告を大幅に超え、生活の制限はあるものの、今も元気に過ごしています。

治療してくださった先生には今でも感謝しかないです。

そして何より奇跡的としか思えない回復をした父の強運にも驚きです。母の強い思いが、きっと父から病を跳ね除けたのだと、医者ながら非科学的なことを感じたりした出来事でした。

今年の夏も、無理しない範囲で父と母はガーデニングを楽しんでいるし、時々近くにドライブしています。

父はもともと良い生活習慣ではなかったので、むしろ病気にならなければ、高血圧や糖尿病でもっと危なかったのでは?と家族内では冗談話も出るようになってます。

家族一丸となって闘病したあの生活は、辛い記憶ですが、きっと意味のある出来事だった。

私はそう思います。

医師編・子供誕生編

そして私も医師となり、初期研修を無事終了し、小児科医としてのスタートラインに立ちました。

仕事は初期研修医時代よりも忙しく大変でしたが、勉強になり・子供を助ける仕事にやりがいを強く感じて充実していました。

小児科医になって2年目には、私の両親にとって初孫になる、子供も産まれました。

しかし、また私の人生観を変える出来事が起こります。

出生後、我が子は新生児呼吸障害(新生児一過性多呼吸:TTN)を発症し、私の勤務する病院のNICUに入院することになったのです。

小児科医として、呼吸障害でNICUに入院する赤ちゃんはたくさん見てきました。

ご両親への説明でも、

「生まれた直後ですこーし呼吸をするのが苦しいようだけれど、すぐによくなるよう、サポートしていきます。」

と、何回も説明してきました。

もちろん、大体のTTNでは、後遺症もなく1週間程度でよくなってくることは医学知識としても経験としても知っていました。

ただ、自分の子供がNICUに入院している時は、そんなことは全く考えることができませんでした。ただただ心配で、安定するまでは当直でもないのに病院に泊まりこみました。

同僚スタッフのお陰様で、治療は上手く行き、無事我が子も何の後遺症もなく、元気に退院することができました。

…….今ではたくさん飲んで寝て、ムチムチと大きく、元気な声で泣く赤ちゃん。

正直、溺愛しています(笑) 。ここまで自分の子供が可愛いとは…。

 

最後に:理想の医師像

そんな二つの困難を乗り越え、両親に孫の顔を見せることができました。

定期的に実家に訪れては、孫とじいじ・ばあばが遊ぶ姿を、私は少し離れた所から眺めるのが好きです。

よくある家族の日常のワンシーンですが、時々そんな日々が奇跡のように思えるんです。

 父の闘病時も、我が子のNICU入院中も心配で不安でこっそり泣いた時もありましたが、今ではどちらも信じられないくらい元気。

 一度悲しみ・不幸を知ったからこそ、当たり前の日常が幸せに感じるし、我が子と父が会えた場面、私は「じいじ溺愛だね笑」と妻・母と何気なく笑ったけれど、後から一人感動して泣きました。

 妻と子供が笑い合っている毎日も、日常になっているけど、ふとした時に、なんでもないのにジーンと感動してしまい、「本当に幸せだよ」と言わずにはいられない時もあります。

 父も私の子供も、医療に助けられて今を生きている。だから、私も医師として日常の幸せの手助けがしたい。

 今は病気で辛くても、乗り越えた先に当たり前の日常が待っている。その日常に戻れたら、それはとても幸運で、泣けるくらい眩しい生活。しかも、その幸せは、退院した後もずっと続く。

 小児科医として働く中で、入院して元気になって退院していく子供を見るのはとても嬉しい。子供たちや親が日常に戻ることの幸せを知っているから。

 また、なかなか治療がうまくいかずに病院にずっといる子とご両親にも寄り添っていきたい。いつもの生活という希望の光が見えなくならないよう、たとえ辛い治療でも一緒に頑張りたいから。

あたり前の生活に戻す手助けをする。

また、すぐに日常に戻れなくても、非日常という病気の中でも希望の光を持てるように。

そんな、子供たちの希望になるような小児科医になりたい。

ふとした休日、一人我が子の寝顔を見ていると、そんなことを思うのです。

 

2023年9月

 平日休み、妻と子供が起きてくるのを待つアパートの一室にて

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追記 2025年9月)

この記事を書いてから、早いもので、もう2年が経ちました。

小児科専門医試験は、結果はまだ来ていませんが無事終了しました。試験に臨む過程の中で、過去に携わらせて頂いた患者さんと家族の顔を思い出しては、当時の不安な気持ちや、改善して退院すしていく際の喜びを再度感じ、自分の成長や、まだ足りない点を実感することができました。

本記事のような、大切な人たちの生命に関わる経験をしたことは、私の医師人生においての大きなターニングポイントとなり、仕事で辛い時のもう一踏ん張りに、私を奮い立たせてくれます。

我が子は、わがまま・おてんば娘に元気に成長し、一挙手一投足が可愛く・ちょっとした発現や仕草で妻と私を毎日笑わせてくれます。元気に成長してくれて本当にありがとう。

父はまだまだ元気です。孫の成長を喜び、帰省の連絡をすると、「その日は絶対に体調を崩せない‼️」と数日〜数週前から体調を調整しているようです笑。旅行をする勇気は本人にまだ無い様子だけど、いつか連れていってあげたいなと思ってます。

そして、私が中学・高校生時代によく聞いていたRADWIMAPSさん、今年の朝ドラ「あんぱん」でテーマ曲を担当しましたが、その楽曲・『賜物』が、最終回に合わせてオーケストラバージョンで配信されていました。

この曲を聞いて、この2年前に書いた記事を思い出し、近況を追記した次第です。

学生時代によく聞いたアーティストが、小児科医にとって神様のようなアンパンマンをテーマとして朝ドラのテーマ曲を担当し、その歌詞は自分の人生を振り返らせる内容である…という不思議な繋がりを感じます。こういう一瞬に、「やっぱり今は本当に幸せだよね」とひとりごつ夏の終わりの夜でした。

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